あなたは今、街の雑踏にたち「なにか音がするなあ」と空を見上げた瞬間、ものすごい閃光に襲われる、ということを想像できるだろうか。
今から80年前の8月6日、広島でそのようなことが起きた。原爆投下、である。
その8か月後、ひとりの従軍記者が広島にやってきて、牧師さんや、日赤病院の医師などから詳細な聞き取りを行い、ニューヨークに帰って、その名も「ニューヨーカー」という雑誌に、最初から最後まで、すべてのページをつかって、すさまじい事実を書いた。
ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」である(のちに、その記事は、ジョンが友情を結んだ牧師・谷本清さんらの手で日本語に翻訳され、出版された)。
その孫が、わが親友キャノン・ハーシーである。48歳。私も186センチなのだが、彼はさらに少し背が高い。波打つグレーの髪。すんだ目。とても陽気で、話す英語はノーブル。3人の娘の世話を一生懸命する、ナイスガイだ。
キャノンは、盟友のアーティスト、藤元明と共に、8月6日、原爆が投下された8時15分をさしたまま、金属が溶けて「時が止まった」時計を正確に再現。直径数十センチに拡大したアートをつくった。「被爆アート」と、私は呼んでいる。
おじいさんのジョンも持っていたであろう万年筆の、被爆アートもつくった。表面は、ただれている。折れている。でも「書くぞ!」という気迫が、伝わってくる。
2つの被爆アートは、大阪関西万博のパビリオン「PASONA NATUREVERSE」に展示されている。
パビリオンのテーマは「いのち、ありがとう」